ブログ京橋店

2017.12.20

日本料理の形式

年の瀬がいよいよ押し迫ってきましたが、いかがお過ごしですか。
今回は日本料理の形式についてお話を致します。
現在の日本料理は、室町末期に基礎がかたまり江戸後期にほぼ完成しました。
伝統的な日本料理は、本膳料理、袱紗料理、会席料理、懐石料理、精進料理、普茶料理、卓袱料理とあり、それぞれ起源が異なります。

本膳料理→大名屋敷を中心に、武家社会の饗応の膳として用いられました。

正式料理という儀式料理の一部として確立した日本料理の基本的な形式であります。

一人一人が足つきの膳に食事をする形式。一汁三菜、二汁五菜、三汁七菜などがあります。
酒の礼の式三献と饗の膳からなり、饗の膳は本膳、二の膳、三の膳からなります。

 

袱紗料理→儀式的な要素が強く礼法にも厳しい本膳料理を簡素化し、料理本来の味覚を楽しむための料理。江戸時代には本膳料理のあとに茶を勧め、そのあとに袱紗料理を供しました。

袱紗という言葉には略式という意味もあり、武士はかみしも(裃)という礼装を脱ぎ、袱紗袴と呼ばれる普段着に着替えてから共食しました。武家や公家はもとより、庶民にまで広く普及し、江戸時代の後期には調理法が体系づけられて本膳料理に変わって広まりました。献立は一汁三菜、二汁五菜、三汁七菜が基本であります。

 

会席料理→自由で気楽に楽しむ宴(酒宴)会形式の料理。俳諧の席に出された俳席料理。足のない会席膳が用いられ、宴席ですべて食べきれるように配慮されて作られる食い切り料理の形式をとり、一品ずつ配膳するのが基本。日本料理の主流となっています。汁と飯は最後に出されます。

 

懐石料理→客にお茶を立てて、もてなす前に軽い食事を出す場合の料理。「懐石」とは禅宗から出た言葉であり、石を温め懐にいれて体を温めることを意味し、お腹を温める程度の軽い料理のことを言います。そして千利休のわび茶の心を基本としています。

 

精進料理→平安・鎌倉時代に禅宗の僧侶が中国にわたって習得した料理法とともにはじめられました。仏門の戒律によって殺生禁断の建て前から、植物性食品のみを食材として用いりました。豆腐、うどん、湯葉、生麩は中国から移入されました。季節感を大切にし、五法、五味、五色の組み合わせを重視します。

 

普茶料理→隠元禅師を祖とする黄檗宗万福寺で始められた中国風の精進料理。人が集まり茶を飲むことを茶を普くする(普茶)といい、この後に食事をしたことからこの名が付けられました。油を多く用いる味付けが珍しい味として歓迎されました。

 

卓袱料理→卓袱とは卓の覆いを言います。その上で供さえる料理を卓袱料理といい、長崎料理とも言われています。鎖国中に中国人やオランダ人の料理が長崎地方の日本風の家庭料理に影響を与える折衷型の特有なものとして確立されました。初めにおひれ椀(鰭椀)、大鉢、中鉢、沢煮椀などが出され最後に梅椀(汁粉などの甘味)が出されます。卓袱台は4~6人で囲んで食べ、現在一般家庭で、大きいテーブルを囲んで食事をするようになったきっかけと言われています。

 

最後に江戸料理と関西料理のお話を致します。
① 江戸料理
東京湾の魚は江戸前のものといい美味であったので、活きのよいものを即席に料理した鍋物(蛤鍋、あんこう鍋、葱鮪鍋)、天ぷら、うなぎ蒲焼き等が賞味されました。良質な野菜は少なく野菜料理は少なかった。江戸の料理は濃厚な醤油(こいくち醤油)が用いられました。
② 関西料理
江戸時代の初期、上方文化すなわち関西文化は江戸をはるかにリードしていました。関西は食材に恵まれ、瀬戸内海や越前若狭の魚類、京都を中心とした淀川平野の野菜は優れた品質のものが多く、それらの食材を生かして昆布のだしが用いられ、うすくち醤油が作られました。
いかがでしたでしょうか?

ご清覧、誠にありがとうございました。
香水亭京橋店 料理長 越智健介

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