ブログ京橋店
2017.8.18
果物 和菓子 甘味
暑い日差しがまぶしい毎日ですが、秋の香りもすぐそこまで来ています。
夏から秋にかけ食材も移り変わってまいります。
食欲も落ちてくるこの季節ですが、涼しげで、この時期ならではの食材を使いながら
会席料理、蒸しゃぶ会席をご用意いたしております。
冷たく冷えたビールにハイボール、冷酒と共にご賞味くださいませ。
今回は、会席の締めとなる、果物、和菓子、甘味について
ご紹介いたします。
もともと和菓子という言い方は洋菓子に対する日本の伝統的な菓子の総称で『和製菓子』
『日本菓子』『邦菓』などと称される事もあったそうです。
その種類は、水分量と製法を基準にした保存性によって、『生菓子』『半生菓子』『干菓子』の
三つに分けられ色々な用途別で分けられているそうです。
しかし、この和菓子という言い方は意外にも歴史が浅く大正後期から昭和初期にかけて定着した
ものだといわれています。
では、古代の菓子は、どんな物かと言いますと
農作がもたらした弥生時代に穀類、雑穀などで携帯食や補助食が作られていました。
古くは稲を炒ってもみを落としさらに炒った『焼き米』や『干し芋』など間食にも食べられていたそうです。
これらの事を考えても現代の菓子に分類されてもおかしくありません。
次に穀類を原料としたつき餅や蒸だんご、そして時代が移るにつれ、粟、稗、黍、大豆、小豆を
原料とした 粟餅、小豆餅、などが作られていったようです。
これらは、果物とは区別され、やい米、粟餅など呼ばれていたようです。
時代が進むにつれ果物を加工した干し柿や焼き栗などが作られて世に出回るようになり『おやつ』から菓子に変わっていったとされています。
日本の菓子に大きな影響を与えたのは平安時代に大陸から日本に入ってきた
8種類の『唐菓子』と14種類の『果餅』だといわれ、
果餅は小麦や米の粉を練って虫や花に見立て油で揚げた物が多かったそうです。
そして、鎌倉時代から室町時代に中国に留学した禅僧から餅菓子や饅頭など点心が伝わり、
安土桃山時代には盛んになった茶の湯とともに発展して
茶の子や茶菓子などと呼ばれるようになったそうです。
さらに時代が移り、南蛮船の来航が頻繁になると現代でもおなじみの、南蛮菓子、カステラや
ボーロ、金平糖などが伝えられています。
室町時代には、砂糖が手に入りやすくなったこともあり菓子は発展していきます。
江戸時代になると砂糖の生産量も大幅に増え菓子を果物と呼んでいた時代が終わり
菓子として区別されるようになり、果物は、水菓子と呼ぶようになりました。
江戸時代の中期には和菓子の基盤が完成し、京都では有職故実に基づいた京菓子、江戸では上菓子と雑菓子(駄菓子)などが作られるようになっていったそうです。
明治、大正、昭和の各時代には、日本各地の気候や風土、文化に結び付いた銘菓作りが盛んになり
様々な種類の菓子が生まれ、現在、和菓子から各地の銘菓や四季の自然や、三紫水明、花鳥風月を表現した芸術的、かつ個性あふれる和菓子も登場してきたそうです。
水菓子では、梨、葡萄、桃、などこれから美味しくなってくる果物がたくさんあります。
香水亭京橋店では、会席料理をご提供させていただいております。
真心を込めて作り、居心地の良い空間で心行くまで楽しんでいただけるよう
心よりお待ちしております。
旬の食材をふんだんに使った季節の会席、そして、最後まで楽しんでいただけるよう水菓子、
甘味もこだわりの一品として ご用意いたしておりますので、是非ご賞味くださいませ。
この機会に、香水亭京橋店をご利用頂けたら幸いです。
従業員一同、心よりお待ちしております。
香水亭京橋店 料理長 輿石修