ブログ六本木店

2018.11.25

築地市場の歴史

2018年に豊洲へ移転した築地市場には、長い歴史があることをご存知でしょうか?水産物をはじめ、野菜や果物、肉やたまごといった、生活に欠かせない食材を多く取り扱っていた築地市場は、世界最大の市場としても知られていました。

本日は、築地市場についてお話させていただきたいと思います。

築地市場について

築地市場
みなさんご存知の通り、築地市場は東京都中央区築地に1935年~2018年までの83年間にわたる長い期間使用されていた、公設の卸売市場です。2018年10月6日に営業を終了し、10月11日から豊洲市場が開場して同日に解体工事が始まりました。

築地市場は、東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場の一つで、その規模は日本および世界最大であり、代表的な卸売市場でした。

築地市場の面積は約23ヘクタールで、この中で7つの卸売業者と約1000の仲卸業者によってせりが行われていました。2005年の取扱数量は、全品目合計で約916,866トン、金額にすると約5657億円でした。

築地市場で取り扱っていた品目は、取扱量は日本最大であった水産物のほかにも、青果、鶏肉および鶏卵、漬物、豆腐やもやし、冷凍食品などといった加工食品でした。

競り場や仲卸があった主な建物は、弧を描いているのが地区長的です。これは、国鉄東京市場駅がかつて存在した事が大きな理由だとされています。また、線路がこれらの建物に平行しており、この線路を利用して鮮魚貨物列車などが入線していたのです。しかし、貨物運送であった輸送方法が徐々にトラックに移行し、その影響から冷凍車や活魚車などといった貨車や鮮魚貨物列車なども廃止されたため、駅も廃止されたのです。

 

築地市場の歴史

築地市場
江戸時代から、東京の食品流通を担ってきた日本橋魚河岸を始めとする市場群がありましたが、大正12年9月1日に起きた関東大震災によって壊滅してしまいました。その後、9月17日に日本橋魚市場組合が芝浦で仮営業を開始しました。そして12月に、隅田川や汐留駅といった水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地の海軍省所有地を借り受けて、臨時の東京市設魚市場を開設したのが築地市場の始まりです。

現在の京橋区築地に東京市中央卸売市場が開設されたのは、1935年(昭和10年)のことで、1945年(昭和20年)に、日本の敗戦によって廃止された海軍経理学校が、アメリカ軍に接収され、その地には憲兵隊が駐屯し、兵舎、娯楽室、射撃場、病院、ドライクリーニング工場、ガソリンスタンドなどが設けられて、接収解除後に市場の一部となりました。

そして、1954年(昭和29年)には、ビキニ環礁でのアメリカ合衆国が行った水素爆弾の核実験によって被曝した、「第五福竜丸」の水揚げ水産物であるマグロやヨシキリザメが、築地市場へ入荷したこともあります。これらの水産物は強い放射性物質を有しており、そのため築地市場は混乱状態に陥ってしまいました。もちろん、セリは中断され、残った水産物も軒並み相場は値つかずとなってしまったのです。行政は、被曝した水産物を場内の地中に埋めるように指示し、埋めた地点に「原爆マグロ」の塚を建立、現世にその災禍を伝えているのです。現在は、通行の支障を考慮して市場の外壁に記念プレートが掲げられています。

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。

 

皆様のご来店心よりお待ちしております。

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