ブログ新橋店

2018.12.17

白菜は鍋には欠かせません

白菜

遠くの山々も澄みきった青空に映える季節となりました。寒い季節の定番料理といえば鍋ですよね。どんな鍋も合う野菜の中に白菜があります。白菜は冬に旬を迎える煮込むと甘みのある調理しやすい食材です。本日は皆様お馴染みの野菜、白菜についてお話させていただきたいと思います。

白菜の栽培の歴史

白菜

白菜は鍋をはじめとして日本料理の食材としてあらゆる料理で使われていますが、現在の結球種と呼ばれる白菜が食べられるようになったのはごく最近、実は20世紀に入ってからのことです。白菜自体は江戸時代より昔から日本人に知られており、度々渡来していたそうです。当時はつけ菜と呼ばれており、非結球種だったそうですが、品種保持が上手くいかず、栽培できていませんでした。その理由は白菜の強い交雑性にあると考えられています。白菜は近くの他の種類の花粉で受粉して交雑種を作ってしまうため、全く違う特徴を持った種となってしまい、同じ白菜を育てることが大変難しかったのです。明治時代初めには政府が動き、本格的に白菜の栽培の定着に乗り切りましたが、うまくいかず、失敗続きだったようです。愛知県の栽培所で半結球種の山東白菜の系統維持に成功しましたが、それだけでした。

明治末期から大正になって、やっと芝罘白菜(チーフ白菜)の栽培と定着に成功したそうです。松島白菜という品種が<松島湾の馬放島という小島で作られるようになりました。これは隔離育種で成功したもので、島で採取した種で農家が栽培し、仙台白菜として出荷されました。この白菜が日本を出回った結球種で最初とも言えます。同じ時期に、野崎徳四郎が山東白菜の改良を続け、今私達が食べているような結球白菜ができたとされています。昭和に入ると石川県でも栽培ができるようになっていき、現在の三大品種群、松島群、野崎群、加賀群ができたとされています。

このように白菜は育種が難しく、その研究と発展により現在のように栽培されるようになりました。全国に普及したきっかけとしては日清・日露戦争で兵士をした農村の人々が白菜を現地にて食べて、味が美味しく各地に持ち帰って栽培を始めたからとも言われています。しかし、上記で触れたように品種保持は難しく、その試みはほとんど失敗したとも言われています。日本での野菜生産量は大根が一位、キャベツが二位、白菜が三位となっています。1941年から収集されている統計では、当時すでに50万トン生産されており、1968年には186万トンまで成長しています。その後は食文化の多様化によって減少しています。

 

食材としての利用

白菜 鍋

白菜はキャベツによく似ているともされていますが、結球の形状がキャベツはやや楕円の形状をしているのに対して、白菜は縦長なのが特徴です。キャベツは全体が黄緑色なのに対して、白菜は中央ほど薄く、外側が緑色で、だんだん黄色、白と変化していきます。栄養価は外側の方が多い傾向にあります。

旬は冬で、霜にあたると美味しくなり甘みが出るとされています。キャベツに比べると食感は柔らかく、味はたんぱくです。生で食べればシャキシャキとした歯触りを楽しめ、煮込めば柔らかくなります。

鍋に多く用いられるほか、キムチや浅漬けのような漬物や煮物、炒め物など様々な調理に適しており、餃子に入れてキャベツの代用に使うこともできます。

 

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。

 

皆様のご来店心よりお待ちしております。

< 戻る

WEB予約はこちら

お電話でのご予約

瓢喜 香水亭 六本木本店

03-5414-1196

瓢喜 香水亭 新橋店

03-5510-9070